スザンヌ・ファレル5

 スザンヌ・ファレルは、マカロワのようなアダージョでの優美なラインもゲルシー・カークランドのようなアレグロでの圧倒的なスピード、跳躍、テクニックも持ち合わせていませんでしたが、観ている者にそんな事など忘れさせてしまうくらい素晴らしい音楽性に満ち溢れていました。
 
 音楽に合わせて踊るのではなく、音楽になりながら踊る。作品の世界観の中で、スザンヌ・ファレルの身体は一つの楽器となり、旋律の中へ溶けて行く。 
 彼女は踊っている時こそ最も美しく、時には踊っているという行為さえ超越し、いつの間にか「ダンスそのものになってしまう」 - まさにそういうマジックを持ったバレリーナだったのです。

 バランシンはスザンヌ・ファレルに代役を立てる事はしませんでした。彼女のための作品は、彼女が踊らないのなら誰にも踊らせない。そして、それはバランシンだけではなく、観客も素直に受け入れる事が出来た一種の美学であったと思います。
 
 スザンヌの舞でなければ、それはもう同じ作品ではないのです。