そこに音楽があるから

 踊っている時こそが、一番鮮やかに音楽の生命を感じる瞬間です。踊る事によって初めて音楽を生きる事が出来る。踊っている自分と音楽を聴いている自分の間には隙間も境界線もなくなり、どこからどこまでがステップで、どこからどこまでが音なのか分からなくなってしまう - 踊るという行為は、まさにそういう感覚であり、エゴが限りなく希釈されてしまう経験です。

 登山家がなぜ山に登るのかと問われ「そこに山があるから」と答えるように、踊る人もまた「そこに音楽があるから踊る」のだと思います。
 
 もしかしたら、最初に「踊る」という経験が自分の中にすでに存在していて、それを叶えるために音楽がやって来てくれるのかも知れません。
 意識的でも無意識でも、登らなければならないという願い、想い、定めのようなものを持っている人の前に山が現れる。そういう仕組みになっているのではないでしょうか。

 踊るという明確な計画、意志、選択などなかったとしても、おそらく踊る人は踊る事になってしまうのでしょう。
 ただそこに流れている美に誘われ、さらわれて、流れのまま、流れそのものになるまで。