麻生祐未 美こそ善

 日本の女優さんの中で一番好きな麻生祐未さん – 麗しいお顔はもちろん、スタイル、声、笑顔、そして涙までもが美しい正真正銘の美人女優です。
 ちなみに麻生祐未さんは、スレンダーなボディから放つパンチの効いたヴォーカルで一世を風靡した歌手の奥村チヨさんの姪にあたるのですが、やはり美しさというものは遺伝し、その素晴らしさを永遠に紡ぎ続けるのだなと感じさせられます。

 唐突ですが、私は数年前に死にかけた事があります。もともと心臓にも肺にも脳にも欠陥があり、生まれた時から数えきれないくらい救急搬送され、米国時代にも外出中に肺が潰れて倒れ、USC大学病院で三度の手術と管やポンプに繋がれている状態での入院生活を経験しています。
 ちなみにこの時、私の隣のベッドにはギャングからマシンガンで撃たれたLAPDの警察官が横たわっていました。なかなか日本では経験出来ないであろうシュールな病室風景です。
 当時、私もまだ10代で高額な医療費などもちろん払えなかったため、手術台をぐるりと囲んだ研修医たちの様々な質問に局所麻酔下で答える事を条件に費用を全額免除してもらいました。完全にモルモット状態です。
 これはこれでチャレンジではあったのですが、それさえ遥かに上回る絶体絶命的な展開が自分を待っているとは、この時には全く想像していなかった私です。
 
 ある夏を境に加速的に肉体が壊れ始め、あっという間に20キロ以上も痩せ、体内の炎症を示すCRPは基準値の300倍、血液は半分になってしまったのです。
 体力も著しく低下したため冷蔵庫のドアを開ける事すら出来ず、扉のハンドルにタオルを引っ掛け、椅子に座った状態で後方へ体ごと倒れてなんとか開けられた事が、今となっては嘘のようです。
 バルコニーへのドアも同じく開閉が難しく、30種類以上育てていた大好きなバラたちに水を上げる事が出来なくなってしまい、結果、全て枯らしてしまいました。

 ありとあらゆる精密検査の結果、広尾の北里大学病院と芝の済生会病院の医師らに私が患っているのは深刻な病で「長くて余命1ヶ月。早ければ今夜」と宣告されました。
 一切れのメモ用紙に「骨髄腫」という漢字三文字を書いて手渡しながら済生会病院の医師が私に伝えた言葉は「こうやってお話ししている間にも、体のあちこちで骨が砕けていると思います」でした。
 人生の殆どの時間をずっと一人で過ごし、浮世には身寄りも何の未練もなかった私は、即時入院を強く勧める医師を説得し、自宅で最期の瞬間を待つ覚悟を決めました。

 後始末が少しでも楽になるよう玄関の鍵はかけず、飲まず食わず状態でベッドにうずくまっていた時間、多少なりとも現実から逃れる事が出来るかも知れないと願って観た一本のドラマ – 松本清張さん原作の「波の塔」。
 ヒロインを演じる麻生祐未さんの儚く香り立つ芸術的な美しさに、いつの間にか激しい痛みさえ忘れていました。
 「もし生かされてしまったら、その時はこの命尽きるまで踊ろう」-  この時、なぜかどこからともなくそういう想いが込み上げてきました。

 「いつ脳梗塞が起こってもおかしくない」と担当医から言われている状態で、入院はもちろんすべての治療と薬を断り、これまで自分が学んで来たホメオパシー、アーユルヴェーダ、アロマセラピー、漢方、瞑想、気功の知識と経験をフル活用し、とにかく一日一日、一瞬一瞬、体が求めている事を出来る範囲でやりながら、自分よりも遥かに大きな力に何もかも委ね、その計らいを信じ、起こる事を100%受け入れようという穏やかな気持ちに包まれて、時間があるようでないようなとても不思議な日々を送りました。
 自分の心と体両方の声にひたすら耳を澄まし、それまでの人生の様々な場面や登場人物を思い返しては、貴重なご縁と恵まれた出来事に感謝の気持ちでいっぱいになる毎日が淡々と流れて行ったのです。
 「どんな事にも意味があり、結果、すべてはそれで良かったのだ」- 人生で初めてそんな気持ちになり、出会いや別れはもちろん、乗り遅れた電車や立ち止まった赤信号、晴れた空も降った雨も、何から何まで完璧なタイミングと形で展開し、まるでパズルの欠片が隙間なくはまるように自分という命は生かされてきたのだと心から感じる事が出来ました。

 こうやって理論ではなく実体験を通しての鮮明な感覚で魂の学びと成長に気付かせてくれたかけがえのない日々を過ごしていた私は、やがて希望の光に祝福される瞬間を迎える事になります。
 すべての項目が大きく改善された検査の結果を見て、済生会病院血液内科の国枝先生は「どうやら長谷川さんの生命力が病気に打ち勝ったようですね」と大変驚かれていました。
 再び歩く事が出来るようになった体で久しぶりにバルコニーへ出て、かわいそうな姿にしてしまったバラたちに手を合わせて謝りながら、ふと思いました。「もしかしたら、バラたちは身代わりになって守ってくれたのかも知れない」と。
 
 28歳でダンスと離れ、もう二度と踊る事はないと思っていた私でしたが、気が付くとバレエ・タイツを穿き、とても新鮮な気持ちで床の上に立っていました。そして、この運命的な出来事から今の自分へとその「道」は続いています。
 不整脈も心雑音もストラヴィンスキーの「春の祭典」のような感じで、安静時の心拍数も正常値の1.5倍であるため、医者を含めた専門家たちからは「踊るどころか、よく普通に立っていられますね」と驚かれる事しきりですが、個人的に病気だけではなく事故、事件、自死、災害も含めて人は寿命でしか旅立たないと思っているので、人生、ただ愛する事を愛するままに愛し続ければ、それが一番幸せな気がしています。

 麻生祐未さんは言わば命の恩人であり、私に再び踊るきっかけをプレゼントしてくれた美しきミューズです。
 すべてを超越し、ほんの一瞬で人を限りなく幸せにする可能性を秘めている – 「美」こそ「善」なのだと心から信じます。