私たちが祈る時、その祈りは誰へ、どこへ、そして何へ向かって行われているのでしょうか。
ある人にとっては「神」、ある人にとっては「宇宙」、ある人にとっては「霊」、ある人にとっては祈りの対象が組織のリーダーやグルかも知れません。
しかし、自分自身がもともと「全体」の「一部」であり「一部」の中に「全体」があると考えた時、誰かに向かって祈るのでも何かに向かって祈るのでもなく、自分へ向かって祈る事こそ、祈りの本質に近いのではないでしょうか。
自分の外側には何もないのだとしたら、どんなに遠くのどんなに大きなものへ祈ったつもりでも、結局は自分自身へ向かって祈っているという事になるのではないか。そう感じてしまいます。
自分が祈るのではなく、自分へ祈る - 祈りは祈られた瞬間に自分自身へ届き、自分の中で響いて、すでに祈る前の自分とは違う自分を創り上げる力の源となるのではないかと思います。