価値観も美意識も時代や文化と共に変わるけれど、たとえば花は普遍的に美しい。
花を美しいと思わなければという意識など要らない。
花に対する知識や経験がなくても、花は無条件に美しい。
美しいと感じる事が出来る心が美しいと感じないのであれば、きっとその対象は美しくはない。
美しくないものはただ美しくないというだけであり、その存在価値とは関係ない。
感動が一つの反応であるのと同じく、無関心や嫌悪感も反応のバリエーションでしかない。
雲一つない晴れの日だけが美しいわけではないが、雨を美しいと感じるか鬱陶しいと感じるかは人それぞれで、そこに正しいも間違っているもない。
白は白で赤は赤。
その中間の何色であっても色は色だが、その瞬間に白く見えるのならそれは白で、赤く見えるのならそれは赤だと言ってしまう事に罪はない。
白を見ている時に「これは白でも赤でもない」という発想はない。
赤を見ている時に「これはもしかしたら白なのかも知れない」と熟考する必要もない。
美醜も好き嫌いも善悪や優劣としての価値基準と判断ではなく、あくまでもそれを見ている人の心の動きに過ぎない。
シェイクスピアの言葉がすべて:
Beauty is in the eyes of its beholder.
美というものはそれを眺めている人の目の中にある=何を美しいと感じるかは人それぞれ