ダンスと経済

 ダンスだけではなく芸術全般に当てはまる現実として「食べていけない」という経済的なチャレンジがあります。
 もちろん、どの国、どの時代でも好きな事だけをやって食べている人の方が圧倒的少数でしょうが、アートの場合、いつか専業でという目標を持ちつつ芸術以外で収入を得ているケースが他の職業に比べて多いような気がします。

 しかし、ダンサーとして経済的に自立していれば踊りに一層の喜びを感じるわけではないですし、職業として成立しなければ踊りの喜びが減少するわけでもありません。
 一回のプリエの中で味わう呼吸の気持ち良さ、ピルエットが上手く回れた時に経験する普段とは違うその一瞬の特別さなど、踊っているからこそ感じられる素晴らしい場面は、プロ、アマチュア問わず、多くの人が体験出来ると思います。

 一方、バレエ団などに所属してプロとして踊っても、自分の希望とは必ずしも相容れない運営・方針・作品・キャスティングのもと、決して心通い合う相手・仲間とは呼べないメンバーと義務で踊らなければならない場合も多く、結局、そこにあるのは純粋な踊る喜びではなく、世の中の殆どの職業や職場同様、利害関係、人間関係も含めたストレスではないでしょうか。
 たとえフリーランスという独立した形態で仕事をしたとしても、所詮、構造的にはクライアントと事業主という経済的な束縛から逃れる事は、職業が比較的自由なダンサーと言えども難しいと思います。

 踊るために必要なのは踊りたいという気持ちだけです。人間は自分が本当にやりたい事は周囲が猛烈に反対しようと目の前の道が険しかろうとやり遂げます。いわゆる「ダンサーになる夢」を諦める時は、ダンスで生活出来ないのであれば踊らないという経済的な判断をした場合が殆どなのではないかと考えます。

 思うに、生計を立てるための仕事にまで「生きがい・やりがい」を見つける必要などないのではないでしょうか。現時点で「踊る事」自体がすでにそれらを与えてくれているのであれば尚更です。
 みんながバレリーナやサッカー選手になってしまっては宇宙の秩序も乱れ、社会も回らなくなります。

 少なくとも職業の選択における多様性とは、心のままに生きる事を経済的に可能にしてくれる営みも前向きに受け入れる寛容さではないでしょうか。
 そして、その寛容さは社会や他人に求めるものではなく、自分自身に求められる自分への理解のような気がします。
 ダンスだけで生活出来る人は一握りですが、踊る喜びは多くの人へその扉を開いてくれているのです。

 踊りたくても踊れなくなる日はすべての人に訪れます。せめてそれまで、踊りたければ踊る、踊りに喜びを感じれば踊る。それで十分に幸せなのではないかと感じます。